漫画家の言う好きな漫画家は存在しないのか?

ttp://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20060121/1137782394
オタク論です。
こういうのをまとめてオタク論と呼んでいます。
正しい、正しくないは別として。


簡潔にいえば『無駄な時間と金を費やし続けるオタクってやつは救えないよね』ってことですかね?
まあ実際、世の中に他人に自慢できるほど有意義に金と時間を使えてるやつがいったいどれほどいるのかということですが。


つまらない修飾は読みにくいだけなので適当に絞って

  • 個人の消費できるリソース(金銭時間)は限られている
  • 『オタク』にリソースを割いている分ほかのものが得られない
  • 『オタク』以外の選択肢がなくなる
  • 『漫画家』を目指すならば『漫画を読んでる』暇なんてない
  • 肥大化した市場を支えるために『オタク』は消費し続けなければならない
  • 『オタク』のままでいいのか?自ら選択肢を捨てては何もできない
  • 大人なんだし適当に折り合いつけとけ


『私信』とかつけてるけど、こういう形でBlogに載せてると不特定多数に向けて発信されたものとみなされてもしかたないよね。


んで。
リソース→オタ以外の選択肢がなくなるまではOK。
思い切り余計なお世話だと思うのだが。
そして実際オタ以外にでも何でも当てはまるのだが。
珍走団』とか『ネット評論家』とか『ニート』とか『おニャン子親衛隊』でも可。


そして突然、漫画家になりたければの件。
何でここで漫画家なのか。
リーマンしつつオタなのが大半だと思うのだが放置ですか?
24時間中24時間漫画読んでてペンすら走らせないなら、そりゃ漫画家なんて無理だけどさ。
24時間中24時間ペンを走らせているだけでは、漫画家になれないのも道理。
折り合いをつけろということであれば納得はいくが、0に近づけろということであれば思い違いであろう。
『画家』になりたければ『画集』を見ているだけじゃだめなのは当たり前で、何を言ってるんだ。


そして消費の話。
いきなり話が変わる。
いつの間にやら搾取される対象としてレッテル張りです。
レッテル張りは詭弁の基本です。
そして、支えるための消費ではなく、消費したが上の肥大であることを忘れている。
確かに企業は消費には誘導するものの、消費対象を選ぶのは消費者である。
そしてその構図は世界的にも当たり前。
どんな企業であろうとも消費者に支えてもらわなければ成り立たないのだから。


とことん『オタク』が嫌いなのか、何かトラウマでもあるのか。
最終的にまともな人間ではないかのごとく書かれています。
社会人しつつ結婚してオタクとかは存在しないかのような書き方です。
つか、突っ込みどころが多すぎてなんとも言えません。


ただひとつ。


『オタク評論家』を目指すならば『オタク評論を書く時間』を削らなければならないのだよ。